日子坐命御墓
日子坐命は第九代開化天皇の第四王子(『古事記』では第四子、『日本書紀』では第三子とある。)であり第十代崇神天皇の弟にあたり、母は丸邇意祁都比売(これは『古事記』による。『日本書紀』では母は姥津媛とある。)と伝えられており、日子坐王・彦坐命・彦今簣命などと表記される古代十九氏族の祖です。
四道将軍の一人である丹波道主命は日子坐命と近江の豪族である息長氏の水依比売との間の子だと云われています。(『日本書紀』垂仁紀五年十月条には比古由牟須美命の子ともある。)
『日本書紀』には其の丹波道主命は祭神天皇の命によって丹波の平定に赴いた事が記されてますが、『古事記』や『丹後風土記残缺』及び『但馬世継記』によれば祟神天皇の治世に丹波国に日子坐命が遣わされ玖賀耳之御笠(陸耳御笠 / くがみみのみかさ)と匹女を頭とする土蜘蛛討伐を誅したとあります。(「日子坐王をば、旦波国につかわして、玖賀耳御笠を殺さしめ給いき」『古事記』より。) 日子坐命と其の子の丹波道主命は同一視されていたのかも。
(因みに「クガミミ」とは国神の事なのでクガミミノミカサとは国神ミカサという意味。)
日子坐命は美濃前国造を命ぜられた御子の八瓜命(神大根王・神骨・八瓜入日子王とも表記する)と共に美濃に下り、薨去にあたり岐阜市岩田の山の中腹に葬られました。
明治八年十二月に宮内省陵墓寮の所管に移管されました。
御陵墓祭は三月二十一日です。
伊波乃西神社
伊波乃西神社は岐阜県岐阜市岩田にある、日子坐命を祭神とする神社です。
檜の巨木に囲まれた美しい緑の空間に存ります。
境内の石碑に刻まれた「伊波乃西神社由緒」によれば、かつては日子坐命墓所の背後に社を置いていたが、明治八年に宮内省に日子坐命墓所が御陵墓と認定された為現在の場所に遷宮したそうです。
因みに、神社の境内に何故か細石(さざれいし)が鎮座してました。
細石を載せた台には「国歌君が代によまれているさざれ石」とあり、伊波乃西神社の氏子である丹羽氏が建立したもののようです。
ところで、君が代って国歌だったか…?
石河氏墓
石河(いしこ)氏の墓。
関市重要文化財です。
石河氏の墓がある蓮華寺の隣にある蓮華寺霊園には何故か丹波哲郎氏が植樹した記念樹があります。
何でも霊園開園時にゲストとして来たのだとか。
霊繋がりだったら何処にでも来て頂けるのでしょうか。
高賀神社
岐阜県板取村の橋を渡って直ぐに高賀神社所縁の湧水だと伝えられる水が沸いてます。有料ですけど、水を汲みに多くの人が訪れます。
その高賀神社所縁の湧水の横を通り過ぎてから2km以上山奥に行った所に神社はありました。
湧水の傍だと思っていたので辿り着いただけで満足してそれ以上奥には行きませんでした。